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山田洋次監督 インタビュー全編 ディレクターズカット版はこちら
第1回【証言】「日本人はみんな一文無しに」旧満州での貧しい生活…山田洋次監督 戦争の原体験
第2回【証言】「砂糖で1日を過ごせと…」引き揚げ後も続く飢えとの戦い…山田洋次監督 戦争の原体験
第3回【証言】“次の時代を考えてこの国を動かしているのだろうか”…山田洋次監督 戦争の原体験
(全3回)
■山田洋次監督が少年時代に体験した”戦争”
映画「男はつらいよ」のポスターが壁一面に貼られた部屋で出迎えてくれたのは、日本映画界が誇る巨匠、山田洋次監督91歳。9月1日には90作目となる家庭や仕事の悩みを抱える息子と、東京の下町で生き生きと人生をおう歌する、母親との人間模様を描いた『こんにちは、母さん』が全国で公開されます。
これまで戦争と家族をテーマにした映画も手がけている山田監督は、今回、日本テレビの取材に対し自身の戦争体験を語りました。
山田洋次監督
「僕たち、少年としては、ただただ早く引き上げの日が、こないかなと」
■「僕たちは中国人に“復讐”されるんじゃないか」
1933年、当時2歳の山田監督が家族と共に移り住んだのは、中国東北部に日本が主導して建国した旧満州でした。
山田洋次監督
「大体威張ってたね、日本人は」「知り合いのおじさんと一緒に馬車に乗って、料金の問題でもめて、いきなり(中国人の)馬車の御者をぴしゃりと殴っちゃうみたいな」「子供心に『ああかわいそう。あんな事しなくてもいいのに』と」
しかし、日本の敗戦で生活は一変。当時中学生だった山田監督が抱いたのは、“復讐の恐怖”。
山田洋次監督
「急に怖くなったね。つまり、僕たちは中国人に“復讐”されるんじゃないかと」「恐怖を持っていたけれども、そういう事はなかったですね」
一方、旧ソ連兵からは…
山田洋次監督
「ロシア(旧ソ連)の兵隊は乱暴だったよ。突然家の中に入ってきて、鉄砲で俺たちを脅かしておいて、タンスをあけて着物をダーっと持っていったりして」
■苦しめられた「貧困」
恐怖と共に山田監督が苦しめられたものは「貧困」。常に飢えていたといいます。
山田洋次監督
「日本人はみんな一文無しになっちゃうわけだ」「どんどん物価が上がって、米なんかとても買えないわけ」「それで“コウリャン”ていう、大体、(それは)馬が食べるもんだから」「それをグツグツ1時間も2時間も煮て…」
硬い“黒パン”が手に入った時には…
山田洋次監督
「お袋はなるべく均等にする。大きいとか小さいとかで、兄弟げんかが始まるわけだ。ある時、突然お袋がわーっと泣き出したことがあったね」「悲しくなっちゃったのね。その硬いパンを巡って兄弟が喧嘩している姿がね。妙に覚えているな 」
■戦争に対する”あきらめ”に対し「変えていかなきゃいけないよな」
日本の敗戦からおよそ2年。大連から博多港へ引き揚げることになりますが…
山田洋次監督
「飢餓状態は日本に帰ってもずっと続いたね」「おなかすきっぱなしでね」
来週、78回目の終戦の日を迎える日本。ウクライナ侵攻が続き、核使用の懸念も高まる現実に山田監督は―
山田洋次監督
「原子爆弾なんて間違っている。こんなわかりやすいことが、どうして守れないかってことだな人間は」「深い絶望っていうか、ニヒリズム(虚無主義)っていうか、そんな中にもう諦めてボーっとしているってのが、今の僕たちじゃないのかね」「なぜこんなに無気力になったかってことが、とても大問題だね。それを変えていかなきゃいけないよな」
(2023年8月12日放送「news every.」より)
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